島津氏は鎌倉に住み将軍に仕えていたため、現地は守護代を派遣して代わりに統治させていた。その島津氏が九州に下向するきっかけとなったのが元寇である。3代久経は筑前国筥崎(現、福岡市東区箱崎)の防備を任され、現地に赴き薩摩国の御家人らを統率して警護にあたった。久経は晩年に浄光明寺を鹿児島に造立し、筥崎にて没した。久経の子忠宗は父とともに従軍していたが、元寇の後に薩摩に下向したものと考えられる。以後、島津氏は代々南九州に常住し、発展していくのである。