島津重豪が建てた暦・天文学のための研究所。「天文館」とも言い、現在の天文館通りにあった。江戸幕府は独自で暦を作ることを禁止していたが、薩摩藩は源頼朝の時期から領内に暦を導入していたと主張し、「薩摩暦」という独自の暦を作り、藩内に広めていた。明時館は大陸から伝えられた天文学知識に江戸の技術を補って安永8(1779)年に設置される。安政2(1855)年、館内に蘭学講会所が設けられたという。明時館の廃止は明らかではないが、明治初期に無くなったものと思われる。