安政3(1856)年、島津斉彬は鹿児島城下の郡元に水車機織所を設立した。その後も田上・永吉に紡績のための水車館を設置、この3つの水車館こそが日本の機械紡績の先駆けであった。斉彬は西欧から持ち込まれた糸の精巧さに驚いて紡績に力を注ぐようになったとも、また帆布の自給を目指して機械紡績をはじめたとも言われている。紡績事業を重視する斉彬の遺志は久光・忠義が引き継ぎ、鹿児島紡績所・堺紡績所へと続いていく。