朱子学の一派。薩南学派の祖である桂庵玄樹(けいあんげんじゅ)は明(中国)で儒学を学び、文明10(1478)年に島津忠昌の招きに応じて薩摩国を訪れた。彼は儒学の書の注釈本『大学章句』を刊行し、四書に独自の訓点を施した。彼の教えは領国に広まり、島津忠良なども薩南学派の影響を受ける。また、16世紀から17世紀にかけて活躍した文之玄昌(ぶんしげんしょう)は島津義久・義弘・家久の政治・外交顧問として活躍する。その弟子泊如竹(とまりじょちく)は江戸・琉球で薩南学派を広め、藩外でも知られるようになった。
現在の訓点の元を生み出した藤原惺窩(せいか)は薩摩国山川で薩南学派の訓点を学び、それを元に訓点を編み出したと言われている。