薩摩藩主島津斉彬は、薩摩藩の蘭学者の松木弘安(寺島宗則)や八木称平にガス灯の開発を命令した。彼らは蘭書の翻訳をもとに研究し、安政4(1857)年、集成館内においてガス灯の実験に成功した。続いて磯御殿の浴室隣にガス室を設置し、そこから石灯籠(鶴灯籠)まで配管して点灯に成功、さらに城下にも普及させようとした。しかし、安政5(1858)年に斉彬が急死したため、この計画は頓挫した。なお、ガス灯が普及するのは明治5(1572)年に横浜で点灯して以降のことである。