征西将軍宮懐良親王、谷山を拠点とする
南北朝期以後、南九州は混乱を極めた。島津総州家・奥州家は足利尊氏の北朝につくも、肝付氏や谷山氏・伊集院氏などは後醍醐天皇の南朝方となって対立した。後には北朝が尊氏と弟直義(ただよし)の間で分かれさらに混迷を深める。尊氏派 […]
入麑、貞久が東福寺(とうふくじ)城を攻め落とす
南北朝期の暦応4(1341)年、南朝方の肝付氏らが立てこもった鹿児島の東福寺城を、北朝方の島津貞久や禰寝(ねじめ)氏が攻め落とした。貞和3(1347)年には南朝方の紀伊国(現、和歌山県)の熊野水軍や中国・四国の水軍が襲撃 […]
大隅・日向両国守護職復帰
貞久、大宰府を攻め落とす
南九州に下向
島津氏は鎌倉に住み将軍に仕えていたため、現地は守護代を派遣して代わりに統治させていた。その島津氏が九州に下向するきっかけとなったのが元寇である。3代久経は筑前国筥崎(現、福岡市東区箱崎)の防備を任され、現地に赴き薩摩国の […]
弘安の役
久経、筑前国筥崎(はこざき)に防御用の石塁を建設
承久の乱で忠時、幕府方について戦う
薩摩国守護職復帰
比企(ひき)氏の乱に連座、諸職没収
比企能員は源頼朝の乳母比企尼の養子であり、島津忠久の母丹後局の兄であった。頼朝の挙兵時以来、平氏追討のため西国に赴く。頼朝の信任が厚く、娘は2代将軍源頼家(頼朝の子)の妻となっている。 頼朝没後、北条氏を凌ぐ勢いとなった […]