泗川の戦い、義弘・忠恒奮戦

明侵攻の足がかりとして豊臣秀吉は朝鮮半島に大軍を派遣した。島津家では島津義弘が兵を率いて朝鮮半島に出陣した。秀吉からは1万の軍勢動員が命令されていたが、人員確保が捗らず、島津軍の集結は遅れ、「日本一の遅陣」となる。文禄の […]

太閤検地

豊臣政権に降伏した島津氏は秀吉の家臣、石田三成や細川幽斎(ゆうさい)の命令のもと政権に奉仕しなければならなくなった。義久・義弘らは南九州と畿内の間を往復し、妻子は大坂に暮らすことを余儀なくされる。また、義弘の子久保は小田 […]

九州の役、豊臣秀吉に降伏

ほぼ九州全域を島津氏が支配するようになった際、豊後国(現、大分)の大友宗麟は豊臣秀吉に助けを求めた。天正13(1585)年に四国の長曽我部元親(ちょうそかべもとちか)を降伏させた秀吉は、関白の権限を用いて島津氏に九州停戦 […]

沖田畷の戦いで龍造寺氏を破る

天正12(1584)年に肥前国(現、長崎県)島原で島津氏と龍造寺(りゅうぞうじ)氏が争った戦い。佐賀を本拠地とする龍造寺隆信(たかのぶ)は次第に勢力を広げ、島津氏の支配地と接触するようになった。肥後国(現、熊本県)の赤星 […]

耳川の戦いで大友氏を破る

天正6(1578)年に日向国で島津氏と大友氏が争った戦い。日向国のほぼ全てを手中に収めた島津氏に対して大友氏は警戒を強め、大友義統(よしむね)が大軍を率いて日向国へ侵攻した。当主の父、宗麟(そうりん)は熱心なキリシタンで […]

三州統一

一族庶家の支持を得た島津貴久に対し、北薩の渋谷氏・菱刈氏や大隅の肝付氏らは日向国の伊東氏や肥後国(現、熊本)の相良氏と手を組んで島津氏に抵抗していた。貴久は、天文23(1554)年、大隅国の岩剣城の戦い以降、彼らとの戦い […]

木崎原の戦いで伊東氏を破る

元亀3(1572)年に日向国木崎原(現、宮崎県えびの市)にて島津氏と伊東氏が争った戦い。前年、島津貴久が亡くなると、領国の動揺をついて日向国の伊東義祐(よしすけ)が島津氏の所領である加久藤(現、宮崎県えびの市)を奪おうと […]