磯別邸(仙巌園)築庭
徳川家光を招いて犬追物を実施
鎌倉時代より続く馬術武芸の1つ。走り回る犬を、馬に乗った射手が矢で射る。矢は犬を殺さないように、「犬射蟇目(いぬいひきめ)」という先が平らな特殊な矢が用いられた。 鎌倉時代にはじまり、南北朝期以降にはさかんに行われた。鎌 […]
山ヶ野金山発見
江戸時代、薩摩藩は金や錫の産地として有名であった。金山は永野(山ヶ野)金山が寛永17(1640)年に本格的に開発されることから始まる。鉱山周辺には約2万人が集まったとみられ、幕府にも産出された金を献上していたが、2年後に […]
江戸の薩摩藩邸に徳川秀忠・家光御成
琉球出兵
四つの口貿易と呼ばれる江戸時代の外交体制は長崎口・対馬口・松前口そして琉球口を幕府・諸藩が管理することで統制されていた。琉球口は室町時代以降琉球王国と外交関係を保っていた薩摩藩が慶長14(1609)年に侵攻、服属させたこ […]
家久、徳川家康と和睦し領地を安堵される
関ヶ原合戦の後、帰国した義弘は桜島で謹慎し、徳川家康との交渉は兄の島津義久と義弘の嫡男忠恒(家久)がおこなった。徳川方では井伊・本多らが講和交渉を担当し、義久に度々上洛要請をしたが、義久はこれを拒絶し続けた。長曽我部氏が […]
鹿児島城築城
朝鮮人陶工、串木野で焼き物窯を築く(薩摩焼のはじまり)
旧薩摩藩領内で製作された陶磁器。朝鮮出兵の際、島津義弘が連れ帰った朝鮮人陶工たちが南九州にやってきて作られるようになる。茶器の名品として当代一の茶人、古田織部をはじめ茶人・諸大名らから高い評価を受ける。苗代川系・竪野系・ […]
関ヶ原の戦い、義弘が西軍に属し敗北、敵中突破敢行
9月15日、関ヶ原で決戦がはじまった。兵力では西軍が勝っていたものの、相次ぐ東軍への寝返りにより西軍は瓦解した。石田・宇喜多の軍が敗走し、島津軍のみが戦場に取り残された。そこで義弘・豊久は敵陣に向かって突進した。敵味方混 […]
庄内の乱、家久が伊集院氏を討伐