総州家断絶
元久、京都で将軍義持に謁見、唐物(貿易品)を献上
福昌寺(ふくしょうじ)創建
鹿児島市池之上町に寺跡が残る曹洞宗(そうとうしゅう)の寺院。応永元(1394)年に島津元久によって創建されたもので、開山は石屋真梁(せきおくしんりょう)。能登国(現、石川県)にあった大本山総持寺の末寺であり、島津本家の菩 […]
奥州家による家督統一
5代貞久は後醍醐天皇・足利尊氏の催促に応じて鎮西探題北条英時を攻め滅ぼす。その恩賞として大隅国・日向国の両守護職が与えられた。のちに日向国守護は失い、薩摩・大隅2ヶ国の守護となる。貞久の嫡子は宗久であったが、暦応3(13 […]
清水城築城
北朝から離反し、守護職没収
南北朝期以後、南九州は混乱を極めた。島津総州家・奥州家は足利尊氏の北朝につくも、肝付氏や谷山氏・伊集院氏などは後醍醐天皇の南朝方となって対立した。後には北朝が尊氏と弟直義(ただよし)の間で分かれさらに混迷を深める。尊氏派 […]
氏久、明に使者を派遣
総州家と奥州家に分裂
5代貞久は後醍醐天皇・足利尊氏の催促に応じて鎮西探題北条英時を攻め滅ぼす。その恩賞として大隅国・日向国の両守護職が与えられた。のちに日向国守護は失い、薩摩・大隅2ヶ国の守護となる。貞久の嫡子は宗久であったが、暦応3(13 […]