篤姫が13代将軍徳川家定のもとに入輿
郡元水車館設立
安政3(1856)年、島津斉彬は鹿児島城下の郡元に水車機織所を設立した。その後も田上・永吉に紡績のための水車館を設置、この3つの水車館こそが日本の機械紡績の先駆けであった。斉彬は西欧から持ち込まれた糸の精巧さに驚いて紡績 […]
反射炉(2号炉)完成
反射炉とは、大砲製造のために銑鉄(せんてつ)を溶かして大砲の鋳型に流し込むための炉である。大砲製造のためには鉄を高温で長時間熱さねばならず、高い技術が必要であった。そのためにまず、鹿児島城内の実験場で反射炉のひな形が造ら […]
磯にガラス製造所設立
切子ガラスの1つ。一般には、透明ガラスに紅・藍・緑などの色ガラスを厚くきせ、色ガラスをカットして文様をあらわしたものを指す。色ガラスを浅い角度でカットすることによりできる「ぼかし」の美しさは薩摩切子の独創といわれている。 […]
蒸気船雲行丸竣工
嘉永元(1848)年、島津斉彬はオランダ人フェルダムの蒸気船技術書の翻訳を幕府の箕作玄甫(みつくりげんぽ)に依頼した。その翻訳書「水蒸船説略」として完成すると、これをもとに研究に着手した。嘉永4(1851)年、斉彬が藩主 […]
溶鉱炉完成
溶(熔)鉱炉は、鉄鉱石・砂鉄を高温で溶かして鉄を生産するための炉。薩摩藩主島津斉彬は、嘉永5(1852)年、反射炉の建設に着手すると、この反射炉に銑鉄(せんてつ)を供給するために熔鉱炉の建設も命じた。反射炉建設で先行して […]
昇平丸竣工
19世紀半ば、日本近海に姿を現した西洋の軍艦は数千㌧クラスのものもあった。大型の大砲を装備し、蒸気機関を搭載した船もあった。一方、日本国内では、大船建造禁止令等により、幕府・諸大名は江戸時代初期の軍船を修理して使い続けて […]
ペリー、那覇来航
反射炉実験
反射炉とは、大砲製造のために銑鉄(せんてつ)を溶かして大砲の鋳型に流し込むための炉である。大砲製造のためには鉄を高温で長時間熱さねばならず、高い技術が必要であった。そのためにまず、鹿児島城内の実験場で反射炉のひな形が造ら […]