鉛活字の製造に成功
藩内の教育・文化向上のため、島津斉彬は出版事業も手がけた。その一環として木版印刷より摩耗の少ない西洋の活版印刷の技術の研究・開発に注目し、江戸の木版師、木村嘉平(かへい)に鉛活字の製造を命じた。嘉平は蘭学者などから知識を […]
薩英戦争、鹿児島湾において薩摩藩がイギリス艦隊と戦う
生麦事件、薩摩藩士がイギリス人を殺傷
斉彬の遺志を継いだ島津久光は、文久2(1862)年、勅使大原重徳とともに江戸に下向し、幕政改革を実現させた。その帰国の途中で武蔵国生麦村(現、神奈川県横浜市)にて馬上のイギリス人4名と遭遇した。日本に着いて間もない彼らは […]
久光、幕政改革を建言
寺田屋事件
斉彬死去
安政5年の建白書提出
安政5(1858)年、日米修好通商条約の締結をめぐる議論の中で、薩摩藩主島津斉彬は幕府に建白書を提出している。彼は大砲・軍艦など海防の備えが不十分であるため戦いを避けて締結すべきであると述べている。その上で、日本を守るた […]
銀板写真の撮影に成功
フランス人ダゲールが、研磨した銀板にヨウド蒸気をあてて感光性を持った沃化銀の薄膜を形成させて撮影、これを水銀蒸気にあてて現像し、熱した飽和食塩水溶液に浸して不感光の沃化銀を除いて画像を固定する写真術を発明した。1回の撮 […]
磯の工場群を「集成館」と命名
島津斉彬は藩主となる以前から西欧列強のアジア進出を危惧し、西洋の近代技術の研究に乗りだし、蘭学者たちに蘭書の翻訳を依頼していた。嘉永4(1851)年、藩主となると、技術開発を全面的に推し進めた。翌年、磯別邸に隣接する竹林 […]
磯別邸にガス灯点灯
薩摩藩主島津斉彬は、薩摩藩の蘭学者の松木弘安(寺島宗則)や八木称平にガス灯の開発を命令した。彼らは蘭書の翻訳をもとに研究し、安政4(1857)年、集成館内においてガス灯の実験に成功した。続いて磯御殿の浴室隣にガス室を設置 […]