磯庭園?仙巌園?庭園の名前について

今でも磯庭園って呼んでしまうけれど、間違いなのかな

 博物館内を見回っていると、よくお客様から質問を受けます。

その中で多いものが

「昔は、仙巌園(せんがんえん)じゃなくて、磯庭園(いそていえん)って名前だったわよね?」

「磯庭園が、仙巌園というおしゃれな名前を新しくつけたの?」

「今でも磯庭園って呼んでしまうけれど、間違いなのかな?」

という、庭園の名前についてのものです。

 インターネット上でも「磯庭園に行った!」といった投稿を今も見かけますし、かくいう私も、入社前は磯庭園と呼んでいた一人です。

 さて、このような質問に、私は現在「正式名称が『仙巌園』で、愛称が『磯庭園』と思っていただければ」とお答えしています。ここから、仙巌園の歴史を、名前をベースに辿ってみます。

 仙巌園は、万治元年(1658)19代島津光久によって築かれた、島津家の別邸です。『磯乃名所旧蹟(いそのめいしょきゅうせき)』には「光久公(寛陽院)屢々(しばしば)此地ニ遊ブ 後西院天皇ノ萬治年中鎌田氏ノ旧宅ヲ得テ庭園ヲ作リ一屋ヲ構ヘテ遊観ノ所ト為シ號シテ仙巖園ト曰フ」とあります。

『薩隅日地理纂考(さつぐうにちちりさんこう)』だと「仙巌ハ大磯ノ一名ニテ園ハ國主ノ別館ナリ 万治年中十九代光久是ヲ建ツ 舊名大丸トイヘリ」ともあります。

仙巌園という名前が、古くからあったということですね。

 名前の「仙巌」という部分は、中国の地名からきています。奇岩奇石が多く、美しい景勝地でもある中国の江西省貴溪県(こうせいしょうきけいけん)に、龍虎山仙巌という場所があり、そこによく似ているから名付けられたようです。

 日本には数多くのすばらしい大名庭園がありますが、多くは、中国の古典や漢詩から引いた名前を付けておられます。仙巌園が、中国の実在の地名を採っている背景に、沖縄(琉球)を通じて、中国や東南アジアと長くつながりを持っていたことを考えると、うなずけるものがあります。実際に、かつて島津家に医師として仕えた許儀後(きょぎご・許三官とも)は、龍虎山仙巌のある中国江西省の出身です。

 さて、その後、寛文12年(1672)、仙巌園は南側に増築しています。
『鹿児島地誌』を引用すると「其の落成の日に鶴東より飛んで来て遂に庭上に下り飲啄し暫(しばら)く楼上に止つて去らなかつた。人々皆嘉瑞とし喜鶴亭と名づけた」とあります。他の本では「(縁起がいいことから)皆で万歳と喜び」とも記されています。喜鶴亭(きかくてい)とは、なんとも縁起のよさそうな名前ですね。

 25代重豪(しげひで)の頃を見てみます。重豪は、藩校造士館や演武館・医学院を設立したり、天文研究のための明時館(天文館)を創建したり、海外の情報文化に強い関心を示し、オランダ商館長らと親交を持ったりと、とてもパワフルな人物です。「成形図説」・「南山俗語考」・「質問本草」の書籍刊行など、学問や文化活動を奨励したことでも知られていますね。

 彼は、天明7年(1787)、園内外の美しい景色を選び「仙巌園(喜鶴)十六景図」という絵を描かせています。

 絵の真ん中に、ブドウ棚があるのがご覧いただけますか?葡萄架、鳴雨泉(しぐれのたき)、修竹径(たけのみち)、香楓巌(もみじやま)など、名所を描かせています。ここでも「仙巌園」という名前が出てきますね。

 幕末から明治にかけて、仙巌園は「南の迎賓館」の役割を担います。外国の皇太子や要人たちが訪れ、各国の新聞等で報じられています。その中では「夏(納涼)の庭」「薩摩公(当時29代忠義)の邸」といったニュアンスが一般的なようです。ここまで、仙巌園は「一般の観光客が来る場所」ではなく「島津家の邸宅であり、賓客のもてなしの場所」として用いられています。

一気に時代を進めましょう。

 30代忠重が本拠を東京へと移し、仙巌園は「居宅」としての役目に区切りがつきました。そして、昭和24年(1949)、磯邸の管理を島津家が鹿児島市に委託します。市は、美しい庭園を多くの方々に見て頂きたいと、磯にある公園「磯公園」として、有料開放を始めました。なんと、一般公開されたはじめの頃は「磯公園」だったのですね!

 その8年後、管理運営が島津興業にうつります。島津興業は、島津家が運営していますが「株式会社」ですので、公園という名称が使えなくなりました。そこで「磯庭園」と公開名を改めています。
翌年昭和33年(1958)庭園が「仙巖園附花倉御仮屋庭園」として、国の名勝に指定されました。磯庭園として公開しても、正式名称は仙巌園のままということですね。

 磯庭園時代、天皇皇后両陛下が行幸なされたり、磯山遊園地が開園したりと、たくさんのおめでたいことがありました。同時に、平成5年(1993)の8・6水害などの災害も経験します。その中で、多くの方に「磯庭園」という名称が定着していきました。

 平成9年(1997)これまでの長い歴史や、多くの名勝庭園の事例などをふまえ、正式名称の「仙巌園」で統一することになりました。初めの頃は「仙巌園(磯庭園)」という表記が多く、最近では「仙巌園」のみで通じるようになってきたようです。仙巌園として島津家の別邸であった290年あまり、磯庭園と呼ばれたおおよそ40年、仙巌園に戻って20年以上。なんと、現在の小中学生には磯庭園が通じなくなってきています。時の流れを感じますね。

 さて、ここまでお読みいただくと、私がお客様にしている「正式名称が『仙巌園』で、愛称が『磯庭園』と思っていただければ」という説明に、いささか疑問を持たれるかもしれません。公開名と愛称では、意味が違うからです。

 「多くの方に庭園を楽しんで頂きたい」と始まった一般公開。そして、お庭に足をお運びくださり、たくさんの楽しい思い出を作って下さった皆様。「磯庭園」の呼び名は、決して間違いではなく、かつて多くの方に愛された呼び名(愛称)として、これからも皆様の中で大切にして頂ければと思います。そして、これからの仙巌園も愛していただけるよう、情報発信につとめてまいります。



【投稿】2021年2月4日



小平田 史穂

小平田 史穂

尚古集成館学芸員
鹿児島大学法文学部卒業。
放送大学非常勤講師 等
南日本文学賞詩部門受賞。
鹿児島県文化芸術振興審議会委員

著作
『みんなの西郷さん』
『復刻版 炉辺南国記』尚古集成館、山形屋にて販売

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