五代友厚・石河確太郎の提案を容れ、慶応元(1865)年、薩摩藩は藩士19名をイギリスに派遣した。使節3名、留学生15名、通訳1名で、留学生の1人は土佐藩出身、通訳は長崎出身の者であった。当時、幕府は日本人の海外渡航を禁止していたため、甑島・大島その他島々へ出張と称し、それぞれ改名した上で出発した。
彼らはロンドン大学で学んだり、イギリスの技術を藩に導入するための交渉を行ったりしている。フランスへも赴き、パリ万博の薩摩藩の展示に関わったりもした。派遣されたメンバーの中にはのちの文部大臣森有礼や外務卿寺島宗則、東京国立博物館の設立者町田久成、開拓使ビール(サッポロビールの前身)の創設者村橋久成、大阪商工会議所初代会頭五代友厚などがいる。長沢鼎はヨーロッパからアメリカへ渡り、日本へ帰ってくることはなかった。彼らは近代草創期の留学生として近代国家を形成する礎となったのである。