切子ガラスの1つ。一般には、透明ガラスに紅・藍・緑などの色ガラスを厚くきせ、色ガラスをカットして文様をあらわしたものを指す。色ガラスを浅い角度でカットすることによりできる「ぼかし」の美しさは薩摩切子の独創といわれている。 薩摩のガラス製造は、弘化3(1846)年、薩摩藩主島津斉興が中村製薬館を創設した際、江戸から硝子師を招聘し薬瓶をつくらせたことにはじまる。島津斉彬はさらに向上させ、薩摩切子を生み出させた。特に藩内外の洋学者が協力して生み出した紅ガラスは「薩摩の紅ガラス」として珍重された。紅ガラスには銅赤ガラスと金赤ガラスの二種類があった。 斉彬の死後に事業は縮小、薩英戦争で工場が破壊された。その後復活、明治5(1872)年の明治天皇の鹿児島巡幸時に、磯のガラス工場見学の記録がある。しかし、この工場も明治10(1877)年の西南戦争によって灰燼に帰したと思われる。この頃、薩摩切子は途絶えたが、昭和末期に復活を遂げるのである。