四つの口貿易と呼ばれる江戸時代の外交体制は長崎口・対馬口・松前口そして琉球口を幕府・諸藩が管理することで統制されていた。琉球口は室町時代以降琉球王国と外交関係を保っていた薩摩藩が慶長14(1609)年に侵攻、服属させたことにより、幕府の許可のもと、薩摩藩が管轄することとなる。琉球王国は中国と朝貢貿易をおこなっていたため、薩摩藩はその貿易品の利潤を得るようになる。
薩摩藩の輸入品としては絹製品・丁子・生糸・鮫皮、輸出品は銀・乾昆布・いりこ・干鮑などであった。正規の貿易は幕府の統制下で品種・量が制限されていたため、江戸時代を通じて抜け荷(密貿易)がおこなわれていた。幕府の取締を受けながらも密貿易は続けられ、そこから得た利益をもとに薩摩藩は国力をつけていったのである。