尚古集成館-今なお残る近代国家への息吹-

薩摩・島津家の歴史

トップページへ


トップページ > 薩摩・島津家の歴史

1000
120013001400150016001700180019002000
平安時代鎌倉時代室町時代安土桃山時代江戸時代近現代

島津 忠良

(しまづ ただよし) 明応元(1492)年~永禄11(1568)年


忠良肖像
忠良誕生碑(伊作城)
忠良墓(竹田神社)
写真をクリックすると拡大ページが表示されます。
解説

 伊作家10代・相州家島津氏3代。父は伊作善久(よしひさ)、母は常磐。忠良が3歳の時に父善久が亡くなったため、祖父久逸(ひさやす)と母によって育てられる。久逸も明応9(1500)年に戦死、常磐は相州家島津氏の島津運久(ゆきひさ)を頼り結婚したため、忠良は伊作家と相州家の家督相続者となった。大永6(1526)年(翌年の説もあり)、島津勝久の求めで子の虎寿丸(貴久)が勝久の養子となって本家の家督を継承した。しかし一族の薩州家(さっしゅうけ)の島津実久の反発もあり、すぐに勝久が家督を奪い返したため、領国内は対立することとなる。忠良は実子貴久を支えて老中伊集院忠朗とともに転戦する。天文8(1539)年に加世田・川辺・市来を攻略し紫原の戦いに勝利、薩州家を鹿児島から撤退させた。翌年、加世田を居城とした。
 大永7(1527)年に剃髪して日新斎と名乗る。天文14(1545)年頃いろは歌を作成、近世薩摩藩内の武士の教育に多大なる影響を与えた。永禄11(1568)年、加世田にて77歳で逝去。後に「島津家中興の祖」として崇められることとなる。