尚古集成館-今なお残る近代国家への息吹-

薩摩・島津家の歴史

トップページへ


トップページ > 薩摩・島津家の歴史

1000
120013001400150016001700180019002000
平安時代鎌倉時代室町時代安土桃山時代江戸時代近現代

今川 貞世

(いまがわさだよ)嘉暦元(1326)年~?


写真をクリックすると拡大ページが表示されます。
解説

 南北朝期の武将で歌人。「今川了俊」の名で知られる。南北朝末期、南朝勢力は衰退していたが、九州のみは征西将軍宮懐良(かねよし)親王を中心として勢力が強かった。応安4(1371)、貞世は将軍足利義満に九州探題に任命され、下向する。中国地方の武士を編成し、翌年には太宰府を陥落させ、南朝勢力を肥後国菊池(現、熊本県菊池市)に追い込む。しかし、同7(1374)年に肥後国水島にて少弐冬資を謀殺したため、冬資を参陣させた島津氏久・伊久は貞世と対立するようになる。これにより幕府は氏久の大隅国守護と伊久の薩摩国守護を解任する。氏久は死ぬまで貞世を恨んでいたという。
 永徳元(1381)年に征西将軍宮の拠点は陥落し、ほぼ九州全域を統一する。また、倭寇の取締も積極的に行った。しかし、彼の九州に勢力拡大を懸念した義満によって応仁2(1395)年、九州探題を解任される。晩年は和歌に没頭した。