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薩摩・島津家の歴史

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平安時代鎌倉時代室町時代安土桃山時代江戸時代近現代

平田 正輔

(ひらたまさすけ)宝永元(1704)年~宝暦5(1755)年


銅像
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解説

 18世紀の島津家家老。「平田靱負」の名で知られる。代々家老に就任できる家系に生まれ、寛延7(1748)年、家老に就任。
 宝暦3(1753)年、幕府より木曽・揖斐・長良の三川治水工事の命令を薩摩藩が受けた際、勝手方(財政担当)であったことから工事の総奉行の任を受ける。大坂で借銀の工面をし、翌年から1年間に及ぶ治水工事を完遂させる。その間、数多くの病死者・切腹者を出し、40万両以上の借金が残った。工事完了直後、宝暦5(1755)年に現地で病死。彼の死は甚大な犠牲者と借金を理由とした切腹とも言われる。墓は京都府京都市伏見区の大黒寺。彼と彼の指揮下で働いた人々の功績はのちに「薩摩義士」として顕彰されることとなる。