薬園
(やくえん)
薩摩藩は万治2(1659年に山川において、貞享4(1687)年には佐多にそれぞれ薬草園を開設した。山川・佐多はそれぞれ薩摩・大隅両半島の南部に位置し、温かい気候であったため、寒さに弱い植物も育成することができたという。これらの地には龍眼・茘枝をはじめ南方の様々な薬用植物が植えられていた。
さらに、安永8(1779)年には鹿児島城下北方の吉野に新たに薬草園を開く。これは島津重豪の開化政策のみならず、国内交易における薬草の需要増加が背景にあった。藩は薬草の専売制を敷き、逼迫した藩財政を補填している。重豪は奄美・琉球諸島で採れる薬草をまとめた書物の編纂を命じ、重豪の死後、天保8(1837)年に『質問本草』として刊行された。この『質問本草』は中国の学舎に対して薬草の効能を照会したかのような体裁で書かれている。色彩豊かな図譜は薩摩藩の薬草学の知識の高さうかがわせるものである。





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