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薩摩・島津家の歴史

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平安時代鎌倉時代室町時代安土桃山時代江戸時代近現代

島津吉貴

(しまづ よしたか) 延宝3(1675)年~延享4(1747)年

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孟宗竹
墓:福昌寺
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略歴

 島津家21代当主。父は綱貴。宝永元(1704)年に家督継承、幕府にならって藩の諸機関・諸制度の整備などを行った。また、この時期に琉球を経由して伝来したサツマイモ(甘藷)が主要作物として普及、飢饉などによる餓死者が大幅に減少した。息子たちに重富島津家・今和泉島津家という分家を作らせる。従来あった加治木島津家・垂水島津家とあわせた4家は、本家の跡取り不在の場合に家督継承者を立てる家として確立した。  元禄15(1702)年、仙巌園内に御数寄屋を開き茶会を開催。享保6(1721)年の隠居後は仙巌園に住み、子継豊を補佐したため、仙巌園が藩政の中核となった。また、城下から磯に至る海岸沿いの道を整え、元文元(1736)年には琉球を通じて中国から江南竹(孟宗竹)を取り寄せ仙巌園に植えた。関吉(現鹿児島市下田)から仙巌園に至る吉野疎水や仙巌園曲水庭園も吉貴時代に造られたと考えられている。延享4(1747)年、仙巌園において73歳で逝去。