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薩摩・島津家の歴史

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島津忠国

(しまづ ただくに) 応永10(1403)年~文明2(1470)年

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忠国像
墓:福昌寺
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略歴

 島津家9代当主。父は久豊。日向国穆佐(むかさ)城(現、宮崎市高岡町小山田)で誕生。永享2(1430)年、総州家の島津久林(ひさもり)を日向徳満城(現宮崎県えびの市東川北)で自刃に追い込み、総州家を断絶に追い込んだ。将軍足利義教との家督争いに敗れた大覚寺義昭(だいかくじぎしょう)が日向国福島院(現宮崎県串間市)に逃れてきた際、幕府から義昭討伐の命令を受ける。嘉吉元(1441)年、義昭を自害させるが、この褒美として幕府に琉球国支配を認められた、という伝説がのちに生まれた。
一方、領国内では禰寝(ねじめ)氏・肝付氏らとの対立が続いた。また、弟用久(もちひさ、薩州家島津氏の祖)を守護代として起用したことから用久の勢力が拡大し、両者は対立することとなる。子立久とも不和になり、加世田へ移居、のち坊津から琉球に渡ろうとしたといわれる。文明2(1470)年、68歳で逝去。