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薩摩・島津家の歴史

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平安時代鎌倉時代室町時代安土桃山時代江戸時代近現代

島津久豊

(しまづ ひさとよ) 永和元(1375)年~応永32(1425)年

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肖像1
肖像2
墓:福昌寺
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略歴

 島津家8代当主。父は6代氏久。日向国穆佐(むかさ)城(現、宮崎市高岡町)を拠点に兄元久の領国経営を補佐していたが、応永18(1411)年元久が急逝、元久唯一の男子が出家していたため、鹿児島に戻り本家の家督を継承した。元久の舅の一族である伊集院頼久が反発し、総州家などと手を組んで久豊に反旗を翻した。応永20(1413)年には菱刈(現伊佐市)に出撃した虚を突かれ、伊集院勢が鹿児島清水城(現鹿児島市稲荷町清水中学校)を急襲、駆け戻って伊集院勢を撃破した。
応永24(1417)年総州家の久世(ひさよ、伊久の孫)を自刃に追い込み、頼久を降伏させた。応永28(1421)年には忠朝(ただとも、伊久子)を降し、翌年守久(もりひさ、伊久子・久世父)を肥前に追い総州家の勢力を一掃した。応永32(1425)年、51歳で逝去