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薩摩・島津家の歴史

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島津忠宗

(しまづ さだひさ) 文永6(1269)年~貞治2(1363)年

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貞久墓:本立寺
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略歴

 島津家5代当主。父は4代忠宗。元弘3(1333)年、後醍醐天皇に味方した足利高氏(尊氏)の催促に応じ、大友・少弐(しょうに)氏らとともに鎌倉幕府に反旗を翻し、幕府の拠点であった太宰府を攻める。この恩賞として大隅・日向守護職が与えられ、初代忠久以来約120年ぶりに三国守護職を回復した。
尊氏が後醍醐天皇のもとから離反するとこれに協力、後醍醐天皇の南朝方についた禰寝(ねじめ)氏・谷山氏・伊集院氏らと対立する。暦応4(1341)年には南朝方の拠点、東福寺城(現鹿児島市清水町)を攻略、息子氏久を城主とし鹿児島に進出した。しかし、南朝方が後醍醐天皇の子、懐良(かねよし)親王を谷山に迎え勢力拡大を図ると、南朝方に降った。その後、北朝方に復すが、観応の擾乱(じょうらん)で足利方が尊氏方とその弟直義(ただよし)方に二分すると、尊氏方として直義方とも戦火を交えるようになる。貞治2(1363)年逝去。享年95歳。嫡男宗久が早世したため、貞久の死後、師久・氏久兄弟は守護職を分割して相続する。