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薩摩・島津家の歴史

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平安時代鎌倉時代室町時代安土桃山時代江戸時代近現代

島津忠久

(しまづ ただひさ) 治承3(1179)年?〜嘉禄3(1227)年 【島津氏初代当主】

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略歴

 島津家初代当主。母は比企(ひき)氏娘、比企能員(よしかず)の妹の丹後局、頼朝落胤伝説では父は源頼朝といわれる。丹後局の嫁ぎ先の惟宗廣言(これむねひろこと)の姓を得た忠久は、頼朝によって現在の鹿児島・宮崎両県にあたる薩摩・大隅・日向三国守護職任官および島津荘地頭職に任命され、島津を姓とした。他にも越前国守護職(現福井県)などにも任命された。奥州藤原氏の平定に従軍、頼朝の上洛の際にも随っている。忠久は家臣を南九州に派遣し、自身は鎌倉で生活していた。
 母の実家比企氏が執権北条氏と対立、建仁3(1203)年、比企氏の乱で比企氏が滅亡すると、縁者である忠久は三国守護職・島津荘地頭職等を没収された。後に島津荘薩摩方地頭職と薩摩国守護は返還された。嘉禄3(1227)年、薩摩国地頭守護職を忠時に譲り49歳で亡くなる。