尚古集成館-今なお残る近代国家への息吹-

集成館事業とは(世界遺産登録へ)

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滝之上火薬製造所跡

(たきのかみかやくせいぞうしょあと)


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解説

 19世紀前半に鹿児島の滝之上に水車を動力とした大規模な火薬製造所が設立された。当時、火薬製造のためには硝石・硫黄・木炭を混ぜる必要があった。硫黄は硫黄島や霧島で、木炭は領内各地で豊富に産した。しかし、硝石は藩内で不足しがちであった。そこで嘉永4(1851)年藩主に就任した島津斉彬は、蘭学者石河確太郎に人工硝石の製造法を調べさせ、谷山や城下の各地で硝石を作成する作硝場を設けた。また、西洋式の火薬である綿火薬の製作も行い、成功している。文久年間(1861~64)には、敷根(現霧島市)に本格的な洋式火薬製造所が築かれた。
明治4(1871)年の廃藩置県後には、集成館とともに軍の管轄下となる。明治10(1877)年の西南戦争の際には私学校生徒が鹿児島造船所(集成館の後身)とともに占拠した。政府軍は西郷軍が利用出来ないように、滝之上火薬工場に砲撃を加えて破壊し、敷根火薬工場にも部隊を派遣して爆破炎上させた。