尚古集成館-今なお残る近代国家への息吹-

集成館事業とは(世界遺産登録へ)

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旧集成館

(きゅうしゅうせいかん)


集成館跡(反射炉)01
集成館跡(反射炉)02
集成館跡(溶鉱炉)
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解説

 島津斉彬が富国強兵・殖産興業を目指した工場群。斉彬は藩主となる以前から江戸を中心に西洋の近代技術の研究に乗りだし、蘭学者たちに蘭書の翻訳を依頼していた。嘉永4(1851)年に藩主となると、技術開発を全面的に推し進めた。磯別邸に隣接する竹林を切り拓いてたくさんの工場が造られ、一連の工場群は安政4(1857)年に「集成館」と命名された。この集成館を中核に各地で行われた近代化事業を集成館事業という。藩主の在任期間はわずか7年であったが、世子時代の蓄積と多くの技術者の努力もあり、日本の近代化を先駆ける事業を展開する。
斉彬の死後、集成館事業は縮小・一時停止し、薩英戦争の際にはイギリス海軍の砲撃で灰燼に帰すこととなる。その後、斉彬の跡を継いだ忠義が斉彬の弟である実父久光とともに集成館を復活させる。機械工場を造り、紡績・軍需の最先端をリードした。この藩の技術力・軍事力を背景に、薩摩藩は幕末・明治をリードしたのである。
 幕府や他藩の近代化事業と異なる点は、業種の幅広さである。紡績・大砲製造から硝子・ガス灯・薩摩焼、さらには養蚕・教育改革まで斉彬は事業の拡大を進めた。これほどまでに業種が増えたのは斉彬が「人の和」を第一としていたからである。藩の軍事力の強化のみならず、人々の暮らしの豊かさを求めた改革が薩摩藩の近代化、集成館事業であった。
 昭和34(1959)年に「旧集成館」として国指定史跡となり、平成24(2012)年には「旧集成館 附寺山炭窯跡 関吉疎水溝」となった。