尚古集成館-今なお残る近代国家への息吹-

島津家が育んだ文化

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御用絵師

(ごようえし)


狩野芳崖 琴棋書画図巻
木村探元 富士山水図
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解説

 南九州の絵画の基礎を築いたのは雪舟から水墨画を学んだ秋月等観である。彼は明にも渡り帰国して多くの弟子を育てた。 江戸時代になって薩摩藩の御用絵師は秋月系水墨画派から徳川幕府が採用した狩野派の画壇に変化していく。しかし、幕府や多くの藩の絵師は世襲制で、江戸中期になると粉本(絵手本)に依拠する風潮から独創的な絵が描かれなくなり、マンネリ化していった。そのような中で、薩摩藩の絵師は世襲制ではなく、画才のあるものが登用されていった。中でも、木村探元は狩野派の画風に雪舟・秋月などの画風を織り込んだ絵を描き、活動の場を薩摩のみならず京都の禁裏や近衛家などにも広げ、のちに「見事っ探元」という言葉が生まれるほど高い評価を得た。探元は優れた門下生を育て、薩摩画壇に豊かな環境を与えた。また、その後も薩摩からは個性的な絵師が輩出し、この土壌が日本画家のみならず、黒田清輝・藤島武二・和田英作ら、日本の洋画壇をリードする画家を育んだと言われる。