郷中教育
(ごじゅうきょういく)





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鹿児島の武士の教育体制。各地域で二才(ニセ)と呼ばれる14~25歳ぐらいの年長者が稚児(チゴ)と呼ばれる6~10歳くらいの年少者によって構成される。稚児はさらに年齢で2つに分かれ、年長の稚児は年少の稚児を指導し、年長の稚児は二才から指導を受けていた。二才は互いに修練しあっていた。公的な援助も場所もなく、統一した教育内容がない中で、各郷がそれぞれ独自に子弟教育を図ったものである。その風習は戦前まで色濃く残っており、現在もあいご会等にその風習が残っている。
朝鮮出兵の際に島津家家臣新納忠元らが「二才咄格式定目(にせばなしかくしきじょうもく)」を作り、その教えが教育の根幹となった。「日新公いろは歌」や「曽我どんの傘焼き」、「妙円寺参り」、「義士伝読み」などは郷中教育によって受け継がれていたものという。イギリスに伝わりボーイスカウトの起源になったとも言われる。