尚古集成館-今なお残る近代国家への息吹-

島津家が育んだ文化

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茶道

(さどう)


漢作肩衝茶入 銘平野
茶杓
島津義弘作茶杓 無銘
堺の千利休宅跡
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解説

室町時代に大成した芸道。15世紀後半に村田珠光がはじめ、16世紀に武野紹鴎・千利休らによって大成された侘び茶は、織田信長・豊臣秀吉の時代に全盛期を迎えた。権力者たちはしばしば茶会を催し、重要な事柄が話し合われることも多かったため、茶道は武将たちに欠かせない教養となった。南九州でも、16世紀後半に島津義久・義弘や老中の伊集院忠棟上井覚兼をはじめ様々な階層の人物が茶の湯を楽しんでいたことが『上井兼覚日記』に見られる。豊臣政権降伏後、島津義弘は千利休に茶道を学んだとされている。義弘は秀吉から平野肩衝という茶器を授かった。また、朝鮮出兵の際に朝鮮人陶工を薩摩へ連れ帰り、茶器を作らせた。これが薩摩焼の起源であり、当時茶道の第一人者であった古田織部をはじめ茶人や諸大名たちの注目を集めることとなった。
 江戸時代も歴代当主たちは茶道を嗜んでいる。特に吉貴と斉宣は強い関心を示した。