尚古集成館-今なお残る近代国家への息吹-

島津家が育んだ文化

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鹿児島神宮

(かごしまじんぐう)


境内
天井絵
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解説

 建保4(967)年の『延喜式』に記載されている「鹿児島神社」がその前身とされ、その後八幡神が合祀され、11世紀頃に大隅正八幡宮となったという。大隅国一宮として大隅国内で別格の地位にあるのみならず、大隅・薩摩・日向3ヶ国を中心に信仰される。元寇の際には元軍退散のための祈祷を行い、幕府から恩賞を得た。南北朝期になると島津氏と対立するが、武力制圧と寄進・造営のアメとムチの政策で支配下に入れることに成功する。この時期には対外交易を行っていたようで、多数の輸入品が出土されている。16世紀以降は島津氏の信仰対象となり、島津貴久が寄進したとされる鎧などが残されている。社殿は島津重豪によって建造されたもので、本殿天井には彩色豊かな植物絵が描かれている。明治4(1671)年に鹿児島神社と改称し、その3年後に鹿児島神宮と改める。神社で仕えていた一族の文書が多数残っている。