尚古集成館-今なお残る近代国家への息吹-

島津家が育んだ文化

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諏訪神社

(すわじんじゃ)


『三国名勝図絵』より諏訪神社
『倭文麻環状』より諏訪祭礼
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解説

 鹿児島市清水町の南方神社(みなみかたじんじゃ)の古称。諏訪は「諏方」とも書く。鹿児島五社の第一とされ尊崇を受けた。島津忠久が奥州藤原氏の征伐の際、信州諏訪社に祈願し、信濃国(現、長野)太田荘を治めたことが端緒とされている。島津貞久が諏訪神を薩摩国山門院(やまとのいん)に勧進し、のちに島津氏久が東福寺城を居城とした際に鹿児島に移したという。江戸時代には諏訪神社の祭礼が鹿児島で最も大きな祭礼と言われ、鹿児島城下の町人や近辺の村落が動員されている。祭日には太鼓踊りなどが奉納されていた。